1963年3月13日、陸幕武器課は新小銃の試作と制式制定に必要な予算の取得措置として、大蔵省に対し展示射撃を試みた[53]。官II型改が2丁用意され、合計519発の射撃が行われた[53]。結果は好評で、陸幕はM14の購入費として計上していた予算をそのまま新小銃の調達に振り分けることにした[53]。, だがR6型Eは要求性能よりも重量が上回っていたため、上記の展示射撃に並行して軽量化が進められることとなった[45]。5月には約200g軽くなり重量が4.27kgとなったR6型E改が完成し[45]、それをテスト用として更に手が加えられたのが官III型として完成する[43]。官III型は官II型改の小改造版で、R6型Kの特徴である直進式撃鉄による緩射と機構簡略化を引き継いでいたが、スライドの槓桿部を右側から上方に移し、尾筒を10mm短縮させたものだった[43]。世界的に見ても珍しい槓桿部を上方に付けた理由は、右利きでも左利きでも操作ができ、射撃間の銃の横ぶれに対するバランスを考慮したためである[54]。官III型は細部改良に対応するため、官III型其の1、官III型其の2に分割されて生産された[45]。, 同年5月より各種試験が行われ、12月より官III型による最終的な実用試験が進められ、翌年の8月までに寒地試験、装備補給試験、空挺試験、耐久試験などが実施された[53]。, 1964年9月7日に官III型其の2[45]の図面仕様を持って新小銃の制式とし、防衛庁長官が認可した[55]。10月6日には64式7.62mm小銃の制式が制定され[55]、昭和39年度に100丁[55]、昭和40年度に6,900丁[55]、昭和41年度に18,000丁と一括発注がなされた[55]。量産発注が決定すると、津野瀬は元名古屋造兵廠の陸軍技師であった横井由之助から、海軍の「四式小銃」の製造方式についての膨大な資料を譲り受ける[55]。これらは、64式の量産の流れと設備機械のレイアウトに役立てられる事となった[55]。だが、初期は品質が安定せず、自衛隊のパレードに間に合わせるために仮納入し、パレード後に引き取って修復するというエピソードがあった[56]。, 採用後、津野瀬は64式を納入するたびに、普及教育のため全国の駐屯地を回ることとなる[57]。銅金義一が亡くなると、後を追うように銅金と仲が良かった岩下賢蔵が亡くなった[58]。その後、昭和初期から小銃研究を続け、64式の開発に携わったメンバーが数年のうちに次々と死去していったという[58]。津野瀬は1976年に非常勤顧問の誘いを辞退し、豊和工業を退職する[58]。, 銃身と銃床が一直線上にある直銃床デザインを取り入れ、ガス圧利用(ショートストロークピストン式)、ティルトボルト式、直動式撃鉄による撃発機構を採用している。国産小銃として日本人の体型に合わせた設計を考慮[注 8]したものの、当時の自衛隊は防御戦闘が主眼であり、多少の重量増加よりも射撃時の命中精度、弾幕散布界の小径化を考慮した小銃となった。これはソ連軍機械化部隊の侵攻を遅滞するため、多数の敵に損害を与えられ、対物射撃にも威力を発揮する7.62mm弾の連射に対応するよう設計されたことによる。また、防御戦闘重視の自衛隊の用兵思想に準拠して、携帯性の高い軽機関銃としての要素も有している。回転速度を下げて連射時の銃口の跳ね上がりを抑えるため、コイルばねと棒状の撃鉄を納めた撃鉄筒が床尾内に入り込む設計となっており、他国の小銃や89式5.56mm小銃の様な折曲銃床(折畳銃床)型を製作することは不可能になっている[注 9][59]。, 銃口部の消炎制退器(フラッシュサプレッサー)は、発砲炎を水平方向に拡散することで射撃位置の秘匿に効果がある[60]ほか、反動の30%を軽減する[61]。試作の際、ガス抜き穴を上下左右にまったく対称に設けたところ、ガス作用が釣り合って中心に芯ができ、銃口が安定することで命中率が非常に良いことが判明している[62]。現行の様に三つ穴が左右に設けられるに留まったのは、下方向にガスが抜けると地面の砂を舞い上げてしまい、射撃に影響を及ぼすためと、射撃位置を暴露してしまうためである[63]。なお、下方向にガスの反作用が生じることとなったが、支障となるほどではないという[63]。一方で、制退器の締め付け具合は命中に影響を与え、特に分解組付を行った際に狂いが生じたとされる[58]。, 銃身内部にはクロムメッキを施して耐久力と防錆能力の向上に努め、銃身後端の薬室肉厚も九九式短小銃よりも0.7mm厚い12.1mmとする[64]事で、銃身寿命は軽機関銃並みの発射数37,000発以上[1]、尾筒寿命は発射数24,000発[65]となっている。また、クロムメッキを施したことで摩耗衰損を防ぎ、弾道維持も図られている[61]。銃としても非常に堅牢でもあるため、2000年代中盤頃より制式化直後に導入された後継の89式が耐用限界を迎えて用廃となり始めた現在においても、多くの64式が現役で使用されている[66]。, ストレート形状の二脚(バイポッド)を有するが[67]、89式の様に取り外しての射撃を考慮したものではない[注 10]。左右対称デザインの銃床は木製[68]で、木材部分は調達が容易で加工しやすい東南アジア産の赤ラワン材を用いており、赤みを帯びた木製部品が目立つ外観となった。1966年から1967年にかけてストックやグリップをプラスチック化する試作が行われた[69]。耐久力や強度に問題はなかったものの、木製に比べて高価となったため、採用は見送られた[69]。床尾板は金属製で、ショルダーレストを有する[68]。また、付属品室の蓋がある[68]。, 可倒式の照門・照星(サイト)を有する。照星は微調整不可能な固定式[67]だが、照門は上下左右に微調節可能なダイヤル式となっている[68]。右側面についたダイヤルで左右、照門下のダイヤルで上下に移動する。一方で、それぞれ完全に固定する機構がない。66式鉄帽を目深に被った状態での伏せ撃ちの際、鉄帽のひさし部分が照門に干渉したり、射撃中の反動で倒れることがある[1][注 11]。量産に入った初期の段階においても、連発時に照門が銃の振動(銃が発砲時に後退した際、慣性によって照門がその場に残ろうとする)によって倒れる事故が頻発していた[70]。これは図面の改正で一応の修復はできたものの[70]、完全な防止には至らなかった。, 被筒(ハンドガード)は金属製の上下分割式を採用したが、89式の物と異なり、専用工具を用いなければ外すことはできない[68]。下部被筒の前部は鋼板で補強されているが、本体はヤング率の低い軽合金を採用しており、一度変形すると元に戻り難い。取扱不良などにより変形している個体もあり、そのような被筒では脱落する可能性が高くなっている[注 12]。本銃に限らず、装備品の管理に厳格な自衛隊では、演習などの訓練時に部品の脱落を警戒してビニールテープなどによる脱落防止処置が行われる。, 軍用ライフルとしては部品点数が58個と比較的多く、整備のための通常分解(日常の手入れ分解[注 13][71])時にも床尾板の整備用具入れに入っているプラスドライバー、ピンポンチを必要とする。また、誤った状態でも組み付けが可能な部品(ピストン稈止)が存在するという[66]。, 発射モードの切替え軸部にはア(安全)/タ(単発)/レ(連発)と記されており、「当たれ」と表現されることがある。, 採用当時のジェーン年鑑の本銃の記事には、JANEによる64式の実弾射撃などが行われたかどうかは明記されていないが、Very good weaponとの記述[72]がある。また、豊和工業の英文資料によると、全米ライフル協会のジャック・ウェラー(英語版)は、64式を評してThis is the most accurate rifle that I have seen everおよび、Type 64 rifle is the best service rifleと述べたとされている[73]。, 米国特許も取得した[74]独自の緩速機構による低発射速度を採用し、二脚を使用しての連射においては、同時期に米軍が使用していたM14に対し、優れた命中精度を発揮した。内部の撃鉄など直線運動が銃身軸延長線上、または平行線上で動くように配置されているため、回転偶力が起きず変な振動を起こさない[61]。また、引き金を引いてから撃鉄が作動し、撃鉄に叩かれた撃針が弾の雷管を突き発射するまでの時間(ロックタイム)が他の軍用銃と比較して長い。これは連発射撃時の発射速度を、意図的に落とすための機構でもある[注 14]。スライドを後座させるためのガス導入量を調整する「規整子」(レギュレーター)を操作することで、常装弾や小銃擲弾も発射可能。, 試作型[注 15][75]や64式の初期型[注 16]においては、撃鉄筒が機関部と一体化されておらず、床尾内にねじ込まれる設計になっていたため、何らかの理由で床尾に大きな衝撃が加わると機関部と撃鉄筒がずれてしまい、撃鉄が引っ掛かって停止することで作動不良や後退不良、最悪の場合暴発を起こす恐れがあった[注 17]。撃鉄筒の構造は銃番号79055以降はより強度の高い機関部一体式に改良されたが[注 18]、現在でも前述の訓練における禁忌事項は特に変更されていない。, 潤滑油切れ、汚れの付着などにより遊底の後退速度が不安定になると、装弾不良、排莢不良を起こす場合がある。これは軽量化のため官II型(改)を官III型へと改良する際に尾筒部(レシーバー)10mmを短縮した結果、一般的な小銃に比べ遊底の後退距離に余裕がなくなっている設計[注 19][76]に起因したものである。この後退距離に余裕がない設計は、量産初期において相当期間故障を招き、品質の点でも悩まされたとされる[76]。, 64式の安全装置は、他国の銃に類を見ない「引っ張って回す」構造となっている。(似たような構造としてはラインメタルFG42自動小銃のセレクターがあげられる)その構造ゆえに比較対象となったM14や後継の89式5.56mm小銃などと比べると、即座に安全装置の解除、もしくはその他への切り替えが難しい。この構造は行軍の際に木の枝などの他物に動かされて外れる事が絶対に無い事を最大の目的として考案された物である事が、当時の開発者が昭和56年に『全猟』誌に発表した雑誌論文により証言されている。, 89式などの様に切り替え軸が左側面に露出していないため、レバーがどの状態にあるかは右側面のみでしか確認できない。なお、ア(安全)からタ(単発)、レ(連発)と切り替え軸は回転するが、連発から安全へと180度回転することはできない[注 20]。, 質量は二脚を含め、約4.3kg[56]。普通科隊員の扱う小銃としては重く不便とされることがある。実際に工法が削り出しを多用している点や、陣地における二脚の使用を前提とした軽機関銃的運用を考慮した設計、銃身肉厚の強化などで重量が増加しているが、上部被筒にはFRPを使用するなど、軽量化も図られている。その結果、同じ7.62mm NATO弾を使用するFAL、G3、M14など、同クラスの小銃と比較すると、64式の銃身長が短いことも関係するが若干軽量となっている。, 銃身の肉厚や二脚によってバランスは前方に偏っているが、これによって発砲時の銃口の跳ね上がりは軽減される。, 使用する7.62mm NATO弾は、採用当時の日本人の体格を考慮し、常装薬弾に比べ薬量を削減した減装薬弾を使用している[79]。採用された弾薬は「M80普通弾」「M62曳光弾」「M82摸擬弾」「M63空包」などがあった[26]。結果的に連射速度が低下し、遊底の作動が緩やかになるため、命中精度の向上に寄与しているとされる。また、常装薬弾に比べ反動が軽減しているといわれている。64式専用の弾倉(マガジン)は複列(ダブルカラム)式で、最大20発装填できる[68]。また、残弾確認孔が左側面に付属する[68]。, 一方で、国産弾は規格を定める際に64式の性格を熟知した担当官によって雷管の性能を64式に合わせて鈍感にしてあったため、ドイツ製NATO弾で射撃をしたところ、全弾が遊底閉鎖と同時に発火(自爆)してしまったという[80]。開発者の一人である津野瀬光男は、有事の際にアメリカ製NATO弾の補給を受ける場合は、危害防止の措置として雷管の性能チェックをしておく必要がある、と自身の著書で述べている[80]。, そのため、規整子(ガスレギュレーター)を切り替える事で、通常薬量の7.62mm NATO弾を発射する事も可能ではあるが[66]、弾薬のチェックが必要となると結果的に補給面には不安が残った[注 21]。, 64式には64式用狙撃眼鏡[81](スナイパースコープ)が装着可能で、狙撃銃としても運用されている。命中精度の高い個体を選別・使用してはいるわけではなく、各分隊内で射撃技術の高い者が「狙撃手」(運用上は選抜射手に類似する)となり生産ラインから高精度な64式小銃を選抜しスコープを取り付けたものが支給される。[66]。基本的に演習、または射撃競技会に使用する場合以外には狙撃眼鏡は装着されず、常に狙撃銃仕様となっているわけではない。狙撃手は小銃班と共に活動するが、中・小隊長には必要に応じて各小銃班の狙撃手を集めて臨時の「狙撃班」「狙撃隊」を編成する事も認められていた[82]。, 自衛隊の狙撃銃に関しては創設時から供与されていたM1903A4狙撃銃[注 22][82]や、7.62mm小銃M1の狙撃銃仕様であるM1C/Dを使用していたが[82]、64式の採用によって狙撃銃に関しても64式で更新されることとなった[83]。1960年代後半にはM1903A4が、1970年代にはM1C/Dがそれぞれ更新された[83]。, 狙撃手用の64式には「64式用狙撃眼鏡」「頬当て(チークパッド)」が装着される。64式用狙撃眼鏡はアメリカ軍が第二次世界大戦時に採用したM1C/D狙撃銃に装備されるM84スコープに似た日本光学(現:ニコン)製[84]のもので、視界は5.2度[84]、倍率はM84と同様2.2倍[84]の低倍率となっている。この照準眼鏡の上下転輪には0-800mまでの表示があり、射撃距離に合わせることにより各距離に対応するが、64式の命中精度と眼鏡の倍率の制限により、人型的に確実に命中させられる射程はおおむね500mまでとされる。また、この眼鏡の鏡内目盛(レティクル)は中心部が離れたT字型で線自体も細いため、薄暮時や黒い標的に対しては照準がし難いものとなっている。, 照準眼鏡の取り付け部はネジ1個によって固定されるため些細な衝撃などで照準が狂いやすいほか、マウントと尾筒部(レシーバー)に隙間が存在し、マウント装着時には尾筒部との間に裁断布や空き缶の切れ端などを挟み、隙間を埋めるといった工夫がされている。銃の構造上、銃身の真上に照準眼鏡を装着できず眼鏡の位置が銃身左斜め上になるように装着しなければならないため[注 23]、通常の照門、照星は使用できなくなる[84]。また、このネジ穴は照準眼鏡以外にも交戦装置などの固定にも使用されており、中にはネジ穴1箇所で照準眼鏡と交戦装置両方装着する例もある。, 照準眼鏡が銃の中心線から外れるため、銃床部分に頬当て(チークパッド)が装着され、頬の当たる反対側(右側)で縛って固定する[84]。, 長らく陸上自衛隊にて選抜射手に準じた運用がされてきた狙撃手と64式であったが、市街戦における狙撃手の有効性が注目されるようになり、2002年度に評価・研究用として約60丁のレミントン・アームズ社製「M24」が調達され、後に制式に「対人狙撃銃」として配備が開始された[83]。合わせて狙撃専門の部隊を編成する事も決まり、現在ではほとんどの普通科部隊に「狙撃班」が編成されている[84]。これにより普通科に関しては、狙撃銃としての64式は対人狙撃銃で更新されたが、それ以外の職種部隊では今なお64式が狙撃銃として運用されている[84]。, 陸、海、空、三自衛隊で使用されているほか海上保安庁でも使用され、能登半島沖不審船事案では巡視船からの威嚇射撃に使用され、九州南西海域工作船事件では巡視船を銃撃してきた工作船に対する正当防衛射撃を行っている。また、1992年のカンボジアPKO派遣では自衛用として隊員が携行している。警察庁への納入実績もあり、特殊急襲部隊(SAT)の前身である特科中隊(SAP)が狙撃用に配備していたとされる。, 約22万丁以上が自衛隊に納入され定数に達した後も、予備自衛官向けに毎月3,250丁ずつ生産が継続された[72]。約23万丁が生産され、その内の21万4,507丁が陸上自衛隊に納入されている[88]。, 後継の89式5.56mm小銃の制式化により更新が行われているものの、64式の銃身寿命の長さから総入れ替えといった方法での更新がされなかったため、未だ多数の64式が現役である[89]。また、入隊直後の新隊員教育[注 24]や予備自衛官召集訓練及び予備自衛官補教育訓練でも使用されている。後継の89式が全国的に見られるようになったのは2000年頃からで、普通科部隊では置き換えが完了している(但し儀仗用で保管されている場合を除く{例:第44普通科連隊})[89]。方面特科部隊や方面衛生科など後方支援部隊などでは64式が使用され続けており、逐次計画により更新を待つ形となっている[89]。現在では一般部隊の管理としては戦闘職種において有事などで増員された際の予備火器や狙撃用として、方面隊の管轄では海外派遣時に89式を貸し出した部隊への補充用の他には有事の際に招集される予備自衛官向けの予備兵器として補給処に保管[注 25]されている。, 小銃の主な運用法に防御戦闘を想定する航空自衛隊、海上自衛隊では、今後もしばらくの間、陸上自衛隊から移管された64式が使われ続ける[注 26]。航空自衛隊は開けた基地の警備をする都合上長射程を好むため5.56mmより射程が長い7.62mmの64式を現在でも使用している。, 発砲や銃本体の機構の操作を伴わない訓練用に、外形のみを合成樹脂(俗にいう“ゴム製”)で型取り複製した模擬銃モデル(英語では「ブルーガン(Blue Gun)」「ラバーダック(Rubber duck)(英語版)」と呼ぶ)も存在する。, 64式小銃のラバーダック航空自衛隊饗庭野分屯基地での展示品(2015年11月28日撮影), これら自衛隊公用のものではなく、民間で映像撮影用に作られた発火可能なモデルガン(プロップガン)があり、映像用小道具を手掛ける金属造形加工会社である戸井田工業が『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』および『皇帝のいない八月』に際して製作・量産したものは、『戦国自衛隊』を始めとしてその後の日本の映像作品で数多く用いられていた。, このほか、すてんがん工廠が東京マルイのG3A3、もしくはSG-1を64式小銃様の外観に改造する外装キットである「想定64式小銃」や、64式用銃剣をモデル化した「六四式小銃用カナ銃剣」と鞘「64式銃剣用鞘」を手掛けている。, M1小銃と同じ.30弾薬M2を使用可能に改造したもので、32,500丁が教育用の代用火器として使用され、昭和30年代まで使用された, 戦時型と一重に言っても、戦時中の省力化・未熟な作業者による製造や、形状の簡略化、材質寸法精度の低下など、あらゆる増産・生産性向上の改造が施されたことで、同じ部品であってもその形状は多岐にわたっていた, ただし、この内容に対しては否定的な意見(グリップから引き金の位置が遠い、グリップが細い)もある。並木書房『自衛隊 89式小銃 日本が誇る傑作小銃のすべて』53ページ「実戦を考えていない64式?」より, 後継の89式はサイトが銃本体と固定されているのに比べ、64式は射撃の際にはこれを引き起こすという操作手順が増える。64式を用いた戦闘訓練の際には、前進開始前に予め照星のみを起こしておき、遮蔽物の陰に入り、伏射・膝射の各射撃姿勢に移る際にその都度照門を起こして射撃、次の遮蔽物まで前進する際には照門のみを必ず倒してから前進するという訓練内容になっているが、伏せや遮蔽物に隠れる際に他物に当たる事で照星が倒れる場合がある, 正規の整備が行われており、部品の損耗、劣化などがなければ簡単に脱落する部品はないが、消炎制退器止めねじ、ピストン桿止め用ばねピン等、他国の軍用銃では見られないような脱落しやすい構成部品もある, 撃鉄自体の質量が大きいことからくる撃発時の衝撃の大きさも加わり、単発射撃時には低錬度の射手の命中精度低下を引き起こしやすいとされる, 非公式にはA型と呼ばれ、最初期に配備された64式も含まれる。逆鈎の形状が現在配備されているC型とは異なる形状をしており、M31対戦車小銃擲弾の射撃試験を行った際に、擲弾発射薬筒(, 非公式にはB型とも呼ばれている。A型とB型は銃番号1-79054の銃が相当しており、自衛隊新隊員の教本である「新入隊員必携」にもこの仕様について記述されている。部隊運用の中で何度かの改良が施されたが、「新入隊員必携」にはA型からB型への改良点の詳細や該当銃番号などは特に言及されていない, 非公式にはC型と呼ばれる。この変更点については「新入隊員必携」でも変更された銃番号を明記した上で言及されている, スライドを後方いっぱいに引いた際、遊底の前端と弾倉内の実包後端までの隙間が6mmしかない, 現在ではタスコジャパン(現:サイトロンジャパン)が銃身の真上にベース部分が来る64式向けマウントベースを取り扱っており、官公庁向けカタログに製品として掲載されている, 保管されている64式のほとんどは一般部隊で使用後に比較的射撃回数が少なく各部品の摩耗も少ない良品という事で補給処へ返納後にパーカーライジング処理された状態若しくはメーカーから納入された状態で一度も部隊で使用されず予備火器として保管されたままといった比較的良好な銃である。有事の際は臨時に編成された予備自衛官部隊へ納入する。詳細は秘密扱い, 部品の摩耗などによりガタがきており命中精度も低下しているが、基本的に常に射撃訓練を行う事を前提としていない為に海自や空自では一部を除き部隊内での個人指定はせず射撃訓練などでは共用している, 伊藤眞吉 「鉄砲の安全(その1)」『銃砲年鑑』05-06年版、267頁、2005年, 伊藤眞吉 「鉄砲の安全(その2)」『銃砲年鑑』06-07年版、249-268頁、2006年, 上記は再掲載版。原出典は古今東西の銃器の安全機構全般に関する論文として、昭和55年〜56年に掛けて『全猟』誌にて発表。論文筆者の伊藤眞吉(いとう しんきち、, Our History (Howa Machinery Firearms Dept.), https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=64式7.62mm小銃&oldid=80273348, ア/タ/レの各位置には穴があり、レバーの突起がこの穴に入り込む。回すにはレバーを摘んで引っ張り、突起を穴から出さねばならない。, この様な「両側から摘んで引っ張り、回す」動作は自然界の不特定要素ではまず起こりえない事であり、「押して回す」.